2020年 05月 24日
神の愛と信仰
イザヤ 49:15
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。」
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。」
イザヤ 43:4
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。… 」
エゼキエル 33:11
「『わたしは誓って言う。――神である主の御告げ。――わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。』」
「『わたしは誓って言う。――神である主の御告げ。――わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。』」
マタイ 11:28
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
昔、私の知人がイスラエル旅行をした時の話を聞きました。朝日を見るためにシナイ山に登ったそうです。そう、シナイ山は十戒が記されたところです。そのとき現地のガイドさんがこう言ったというのです。( 真偽のほどは分かりませんが ) 神が下さった十戒には「ならない」と記されているが、ヘブル語ではこんなニァンスにも読めるのだと言ったそうです。それは 「 する、はずはない 」 という神の私たちへの信頼と思いが記されているのだと。
神は私たちを本当は期待し信頼してくださっている、即ち信頼は信仰でもあると思うのです。私たちはどれほど神を信頼しているでしょうか。この神に期待して行きましょう。神のみ心は先に書いた三つのみ言葉に表されていると思うのです。ですから、私たちに道を開いてくださった神と主イエス・キリストに感謝します。
by malanatajesus
| 2020-05-24 18:55
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